2011年7月6日水曜日

虚清天師

第一回に登場する、道教のえらい人。道通祖師、あるいは張天師とも呼ばれる。国内に広く蔓延する疫病に頭を痛めた当時の皇帝仁宗に、疫病を静めるために祈祷を命じられたのがこの虚清天師である。仁宗は使者として大尉の洪信を派遣し、虚清天師を召し出そうとした。洪信は険阻な山道を乗り越えて天師をたずねたが、天師は皇帝仁宗が自分の祈祷をたのみにしていることを自らその道術によって知り、洪信が到着する前に急ぎ出立していたのである。実は洪信は道すがら一人の童子に出会っており、その童子こそが虚清天師であったのだ。肩透かしを食わされた洪信は、好奇心から「伏魔殿」の封印を解き、108星の魔王を解き放ってしまう。この108の魔王こそ後に梁山泊に集う好漢なわけだから、これがすべての発端となった事件なわけだ。

道教のえらい人で、別名「張天師」となると、思い当たる節があるかもしれない。水滸伝の読者の多くは「三国志」も読んだことがあるだろう。その中に、「五斗米道」なるものが登場する。その指導者は張魯。彼の祖父の張陵(張道陵)という人物が、実は初代の「張天師」なのである。本来は漢代の人である張陵は「漢天師」と呼ばれ、その子孫は「嗣天師(或いは嗣漢天師)」と呼ばれたようだが、それが一括して「張天師」と呼ばれるようになったらしい。つまり「張天師」は、漢代から連綿と続く道教の指導者の嗣号のようなものと言えるだろう。ようするに張さんの家が代々天師稼業をやっているのだ。

洪信との行き違い(と言っても天師のほうは確信犯)の話は、恐らくモチーフになったものと思われる説話が残っている。皇帝の病を治すために道士を召し出したところ、やはり勅使は道士に会うことができず、やむなく引き返すと、既に道士が自ら皇帝の下に参じて病を治療し、去った後だったというもの。水滸伝は多くの民間説話を取り込んで成立しているが、その代表的な例の一つと言えるだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿