丹書鉄券

水 滸伝は小説でありフィクションである。これを読むのに特に必要な知識というのはないし、好漢女傑の痛快な暴れっぷりを楽しめれば、実のところそれで良い。 ただ、史実をベースにしたフィクションであるが故に、時々「説明されればわかるんだけど、どうも実感が・・・」というものがあって、この「丹書鉄券」もそ の一つではないかと思われる。
「丹書鉄券て何だっけ? 」という人のために簡単に一言で説明しておくと、「小旋風・柴進の家に代々伝 わ る、 皇帝のお墨付き」である。では、別に朝廷の高官でもない柴進の家になんでこんなものがあるかというと、柴進が「後周世宗の末孫」だから。この説明で納得の いく人は結構、この先は読まなくともよろしい。あなたの知らないことは何も書いてありません(^^; 訳本の本文や注にある、この説明だけでは「ピンとこ ない」という人、この先を読んでみてください。少しは役に立・・つといいなあ(^^;


ご 存 知 のとおり、水滸伝の舞台となっているのは北宋末期の中国である。そして、北宋の創始者は、太祖・趙匡胤。柴家に伝わる「丹書鉄券」は、この太祖・趙匡胤か ら柴家に与えられたものなのだ。その内容は、「わたくし趙匡胤ならびにその子孫は、柴家を子々孫々に至るまで責任もって保護することを誓います」というも の。何しろ王朝の創始者による保証書であるから、柴家は宋王朝が続く限り恐いものなしということになる(もっとも、いみじくも李逵が言ったように、すでに 北宋末の混乱期である水滸伝の物語中ではあまり役に立ったことがないのだが)。
問題は、なぜ「後周世宗の末孫」というだけでこんなすごいアイテムがもらえるのか、ということである。そもそも後周の世宗とは何者か。
宋 の前に中国を統一した本格的な大帝国は、唐である。中学校の教科書にも「遣唐使」で出てくる唐だ。しかし、唐の滅亡後すぐに宋が建国されたわけではなく、 間に「五代十国」という時代が入る。小国が分立したり、ちょっと有力な王朝ができてもすぐ次のに取って代わられる、といった具合の、混乱期である。現役高 校生で世界史を習っている人の中には、このうち華北の五代くらいは暗唱している人もいるかもしれない。すなわち、「後梁・後唐・後晋・後漢・後周」であ る。自分も「周漢晋唐は梁発売です」(*1)などと覚えたものだ(笑)が、この最後に注目。そう、「後周」である。そして、世宗とは、この後周の、事実上 最後の皇帝。宋の太祖・趙匡胤は、その配下の武将だったのである。そして世宗の死後にその後継・恭帝が、在位一年で本当に後周最後の皇帝となった。


(*1) 当時放送されていた「週刊新潮は今日発売です」というCMのもじり。ちなみに順番が逆なので注意。

た だ、この王朝交替はそう単純なものではない。細かいエピソードは省くけれども、太祖は恭帝を殺して帝位を奪ったわけではなく、恭帝から「あなたは私より徳 が高いから、皇帝になって天下を治めてください」と、帝位を譲り受けたのである。このような王朝交替を「禅譲」という(殺して奪うのは「放伐」)。もちろ ん、これは形式上の話で、おどしてゆすり取ったのが実状である。「三国志」の好きな人は、魏の文帝・曹丕が東漢献帝から帝位を譲り受けたくだりを思い出し て頂ければ話が早い。献帝は退位後も山陽侯に封じられ、文帝本人よりも長生きしたのは有名な話。宋の太祖・趙匡胤もやはり恭帝を尊重する姿勢を見せ、恭帝 本人はおろかその子々孫々に至るまで丁重に扱うことを保証したのである。もちろん政治的ジェスチャアの意味もあると思われるが、恭帝の父・世宗は五代最高 の名君であると言われる英雄である(だから柴進も「恭帝の末孫」でなく「世宗の末孫」と言われる)から、その右腕であった趙匡胤は本気で世宗に私淑してい たのではないかと思われる。日本で言うなら、豊臣秀吉や徳川家康が、天下人となってからも織田信長の子孫を尊重したのと同じである。


以 上が柴進のもつマジックアイテム「丹書鉄券」の由縁であるが、じつはこの後周世宗、高校で世界史をやった、あるいはやっているという人は、一度習っている ハズ。「後周世宗」という言葉自体が試験の答えになることはない(と思う)が、「三武一宗の法難」だったら参考書などで見たことがあるだろう。これは仏教 から見た言い方で、中国史上四回あった廃仏政策を指す。三人の「武」のつく皇帝と一人の「宗」のつく皇帝が、仏教を弾圧したということである。「三武」と は北魏太武帝・北周武帝・唐の武帝の三人。「一宗」というのが、後周世宗なのだ。一般に皇帝が仏教弾圧を行う場合、背後に道教の集団や道教系の宰相などが いることが多い。つまり道教側から見ればまことに有り難い庇護者なのである。こういった皇帝の子孫を主要な好漢の一人としてもってくるのも、作品全体の背 景に道教的な思想が流れる水滸伝らしい、と思うのは穿ちすぎだろうか? 穿ちすぎ?
・・・そうか、穿ちすぎか(笑)