”州”の”知府” Thanks>>犬大将様

以前に、「非好漢ファイル」の中の慕容彦達の項で、行政区画に関する疑問を書いたことがあります。簡単に言えば、
「~州という行政区画の長官は、みんな”知府”だ。州の長官なら”知州”なんじゃないのか」
と いうもの。じつは先日、秀逸水滸伝サイト『水滸伝袋』の管理者・犬大将さんから、この疑問に対するメールをいただくことができたので、ここに一部を引用さ せていただこうと思います。ただ、これはあくまで私あてに私信として送っていただいたメールなので、第三者の方から見ても判りやすいように、多少の注釈を つけさせていただきました。
黒犬の素朴な疑問に対してわざわざお答えくださり、掲載のお願いにも快く承諾してくださった犬大将さんに感謝の意を表したいと思います。ありがとうございましたm(_ _)m


<----- ここから引用 ----->

>宋代は府・州―県の二級構造だった、これは間違いないです。
>で、州長官は知州、府長官は知府だったのもまちがいないです。


*黒犬注:宋代の場合、中央から行政官が派遣される最小の行政単位が「県」あるいは「軍」です。いくつかの県をまとめているのが「州」、その中で規模の大きいものや要地であるものを「府」とした、と考えて良さそうですね。ただ、この設定は水滸伝の中では使われていません。


>ところが、モンゴルの連中がこの行政区画をいろいろいじってるんですわ。
>連中は州・県を同等にあつかって、人口基準で州・県をわりなおしたみたいです。
>で、それをまとめる行政区画として、宋の路よりこまかい「路」を設定した。


* 黒犬注:「路」というのは耳慣れませんが、これも行政区画です。唐代に作られた「道」が変化したもののようです。宋では神宗以降でも二十四路といいますか ら、かなり大規模の行政区画のようです。元ではそれをもっと細かいものにして、宋代でいう「府」のように扱った、と思えばいいでしょうか。


>明の制度は、だいたい元の制度をチョロチョロッと変えてそのままうけついでるんですが、
>行政区画もそうで、路を府になおしてる。
>だから、府―州・県という行政区画になったんです。
>この変化も大事。


*黒犬注:元の「路-州・県」が明では「府-州・県」に変化したわけですね。

>で、一番のポイントはここ。明では府の名前に「厳州」みたいな○州というのを
>平気でつかってるんです。で、それがけっこうあるんですね。
>なんでかというと、「モンゴルのまねはしない」ってんで古い地名にもどしたせいみたいです。
>だから、何州とでてきても、その実、何州府で、長官は知府で問題ないとおもいます。


* 黒犬注:これで疑問氷解です(^^) ひとつ注意したいのは、水滸伝は官制や風俗に関して、明代のものを中心に使っているということですね。もちろん明代 だけでなく、ごっちゃまぜといった感があるのですが、とりあえず行政区画に関してはほぼ明代のものと見てよいかもしれません。

>それから、知州の用例としては、燕青と任原の相撲があった泰安州の長官は知州ででてきます。


*黒犬注:で、たまにこういう例外があったりするわけですね(^^) ほかにも、たとえば「孔目」という官職の扱いなどは宋代のものに見えますね。


<----- ここまで引用 ----->


よ うするに、正式名称が「○州府」であるのに、「府」を省略して「○州」と呼んでいただけなんですね。たとえるなら、正式名称が「京都府」でも呼ばれる時は 「京都」と呼ばれるようなものでしょうか。「京都」と呼ばれることが多いからといって知事は「都知事」ではなくて「府知事」ですからね(笑)