好漢たちの綽名について

水 滸伝に登場する好漢、あるいはその他の悪役・脇役たちの多くは、それぞれ本名の他に綽名を持っている。物語のなかで好漢が紹介される場合、「九紋竜の史 進」「花和尚の魯智深」などのように、綽名と本名を並べて挙げるのが普通である。なぜこのように綽名が広く使われているかについて、宮崎市定氏などのよう に、「同姓同名の人が多く、これを区別するために綽名がつけられることが多かった」とする説もあるが、ここではそれについては深く掘り下げない。単純に、 水滸伝の物語世界を構成する重要な一要素として考えておこう。
多くの場合、好漢たちの綽名はカッコイイ。上に挙げた「九紋竜」「花和尚」 は、どちらも自慢の刺青を称えたものであるし、軍師呉用の綽名である「智多星」のように、極めてストレートなものもある。むろん例外もあるのだが、この綽 名に関して、高島俊男氏がその由来から区分したものがあるので、それを紹介しておこう。


1、身体的特徴に由来するもの。
2、携帯物に由来するもの。
3、性格などに由来するもの。
4、職業、生業に由来するもの。
5、特技・能力に由来するもの。
6、武器・戦術に由来するもの。
7、歴史上の人物・架空の人物になぞらえたもの。
8、人間以外のものになぞらえたもの。
9、自ら大言壮語したもの。


それぞれの詳しい内容に関しては、関連書籍のコーナーでも紹介している同氏の『水滸伝の世界』を参照のこと。
ところが、現代日本における日本人読者が水滸伝を読む場合、この「綽名」というのがなかなかやっかいなものになってくる。というのも、この綽名、その由来どころか意味すら判然としないものや、わかったとしてもそれが誤って伝えられがちなものが多いからである。


由来の不明な綽名

由来のよくわからない綽名は意外と多い。そもそも、主人公の宋江にしてからが、わかりにくい綽名を持っている。
宋 江の綽名は、「及時雨」と「呼保義」のふたつ。このうち、「及時雨」のほうは問題ない。「時に及んで降る雨」つまり降って欲しいときにタイムリーに降って くれた雨のように、周囲にとっては非常に有り難い存在である、ということで、宋江の慈悲深い人格をあらわす綽名である。しかし、正式な綽名である「呼保 義」というのは、イマイチ見ただけでは意味がわからない。「保義郎」という役職はあったので、恐らく「保義」はこれであろうとされる。しかも、この「保義 郎」は金で売買されるような低い役職であったので、下級役人で金持ちの宋江が保義と呼ばれる、つまり「保義と呼ばれる男」「自称保義」の意である、とする 説が最も説得力があるように見えるが、他説もあってハッキリしない。
もっと厄介なものもある。扈三娘の綽名、「一丈青」である。意味は まっ たく不明。扈三娘と同じように盗賊の妻である別の人物の綽名も「一丈青」であることから、盗賊の妻のことであろう、とする説もあるが、実は同じ水滸伝の好 漢である「浪子」燕青について描写するのに「一丈青」という言葉を使っているものもあり、燕青は男性であるから、この説は適当でないことになる。これに関 しては中国人研究者もお手上げの状態らしく、音の似た異字の言葉との比較から、なんとなくこんな意味ではないか、ということしか言われていないようであ る。


間違われやすい綽名

もう一つ、綽名が厄介にものになる理由、間違い。これは実際、結構多い。いちいち指摘するとキリがないし、そもそも私自身にそれほどの知識も自信もないので、代表的なものを2、3挙げておこう。
最もよく指摘されるのが、阮三兄弟である。とくに、阮小二と阮小五。
阮 小二の綽名は「立地太歳」。「立地」を「地に立つ」と読み下し、これを「まぎれもない」と解釈する。更に、「太歳」は本来の意味である「疫病神」から転じ て「(悪党の)頭領」で、「まぎれもない頭領」である、としている説がある。一見もっともらしいが、じつは「立地」は「たちどころに」と読み下す。「太 歳」は「疫病神」が転じて「災い」。つまり、阮小二は「手を出すとたちどころにヤケドする」ようなハードボイルドなヤツなのである、とするのが、一般的に 正しいとされる解釈である。
阮小五の綽名はもっと間違えやすい。「短命二郎」を字面で判断すれば、どうみても「短命な次男」である。じっ さ い、「どうせ長生きなどできそうもない、やくざな二番目」とする説がある。しかし、ここでいう「短命」とは、自分が短命なのではなくて、「他人の命をちぢ める」とか「むごい」という意味であって、「乱暴もの」ていどの意味になるのである。つまり阮小五は、「乱暴ものの次男」というわけだ。
そ んな不勉強な人の本なんて、そうそう出まわってるわけじゃないんだろ。そう思う方もいるだろう。しかし、上の誤訳の例は、趣味で中国史を独学する人のため の入門書的な本を沢山執筆・監修し、今でも田中芳樹氏や安能務氏と並んで非常に大きな影響力をもつ人の著作から引いたものである(関連書籍のコーナーにも 収録)。このサイトをご覧になっている人の中で、彼の名を知らない人は皆無に等しいだろう。こういった影響力の強い人こそ、手を抜かないで仕事をしてほし いのだが・・・。


水滸伝のような通俗小説にせよ、歴史書にせよ、中国の古典には本当に魅力 あ る、面白いものが多い。こういった作品群を、一部の研究者だけのものにしておく手はない。だから、古典が積極的に翻訳され、関連書籍が出版されるのは、と ても喜ばしいことであると思う。しかし、そうであるからこそ、その扱いには細心の注意を必要とするのもまた事実であろう。ヘタをすれば、異文化誤解につな がりかねない。この、好漢の綽名の問題も、そういった問題の中の一つといえるだろう。無責任でわがままないち読者としては、なるべくこういった問題は慎重 にあつかってほしいものである。