金聖嘆について

「原 典について」の項でも述べた通り、水滸伝には、複数の版本が存在する。70回本、100回本、120回本がそれであるが、100回本と120回本の相違点 とは、田虎・王慶の乱の有無である。しかし、この挿入された20回はあってもなくてもそれほど物語に影響はない。ところが、70回本と100回本との間に は決定的な違いがある。それは、いわゆる「招安」である。
「招安」とは、盗賊や反乱集団など、朝廷に楯突く反権力的集団に対して、その罪を許すことによってその反権力的行動をやめさせることである。実際に歴代伝統中国王朝はこういった方法を採用したことも多い。それだけ反乱集団を鎮圧するのは手間のかかることなのである。
「替 天行道」の旗を掲げて世直しを誓った梁山泊集団であるが、その首領である宋江は朝廷への忠義心を捨てることができず、燕青を都に送り込んで皇帝の妾である 李師師を篭絡させ、皇帝との直接の謁見の場を設けることに成功する。そしてその場で皇帝に対して自分達の忠義心を訴え、それまでの罪を許されて官軍となる のである。
70回本には、この招安の部分は存在しない。つまり、梁山泊に108人の好漢が集い、世直しの奇声をあげたところで、物語が終了しているのである。じつは中国で広く流布していたのはこの70回本である。この70回本の仕掛け人が、表題の「金聖嘆」なる人物なのである。
この金聖嘆という人物は、明代から清代への移行期に生きた、文人である。しかし、官途についたことは生涯に一度もなく、主に文芸批評家として知られている。
彼 の主張は、「水滸伝は小説とはいえ非常に優れた文学作品である。しかし、施耐庵が書いた本物の水滸伝とは、梁山泊に盗賊集団が集まった時点までのものであ り、それ以降は羅貫中が勝手に付け加えた、出来の悪い捏造である」というもの。つまり従来の100回本を否定して、70回までのものが正統の水滸伝であ る、と主張したのである。その証拠として、彼は施耐庵の書いた原序を入手した、と述べている。
結論から述べれば、これは全て出鱈目である。施耐庵の原序なるものも、金聖嘆が、それこそ勝手に捏造したものにすぎない。つまり金聖嘆は、当時にして既に古典である水滸伝を、話の途中でぶったぎる、という暴挙に出たのである。
ではなぜ、彼はこのような古典の冒涜ともとれる挙に出たのであろうか。それを知るには、まず彼が水滸伝に加えた改竄を知る必要があるだろう。


金聖嘆の加えた改変


1、水滸伝の物語を、途中でぶったぎった。
2、文章を書きかえた。
3、四六駢儷文や詞を削った。
4、施耐庵の原序を捏造した。
5、批評をつけた。


1 については既に説明したとおりである。しかし、ただぶった切ったわけではなく、ラストシーンを付け加えている。それは、梁山泊の副将である盧俊義が、梁山 泊の108人の好漢が全員斬首に処せられる、という夢を見て、はっとして目をさますとそこには「天下泰平」と記された額がかかっていた、というものであ る。これに関しては後述する。
2に関しては、これは主に主人公宋江の扱いである。もともと宋江は水滸伝の中では無能な偽善者としての扱い が 強く、主人公である割にあまり好意的には書かれていない。しかし金聖嘆は、この宋江を、単なる小悪党にしてしまったのである。卑屈であったり偽善者の一面 を見せる部分はより大袈裟にし、少しもっともらしいことを言っている部分は削りとってしまった。
3に関しては、やや説明が必要であろ う。 駒 田氏の訳本などを読まれた方はご存じだろうが、水滸伝には至る所に詞が登場する。主に好漢が初めて登場したときの紹介文や、豪傑同士の一騎討ちなどの名場 面である。これは、水滸伝が講談師によって語り継がれてきたことを示す名残であり、それ自体味のあるものなのだが、生っ粋の文人である金聖嘆からしてみれ ばその文章は稚拙なものが多かった。そのため、彼はこれをバッサリ切り落としてしまったのである。
4に関しては、上のような捏造・改竄を、自分の手によるものである、とすれば、当然疑う者も出てこようし、権威がない。そこで、水滸伝の原作者と言われる施耐庵にご登場願ったわけである。
5 は、主に文章の巧拙に関して評価を加えたものが多い。「この文章は非常にうまい」とか、「この言葉は至言である」といったような注を、本文の横につけたの である。しかし、実はこの注がつけられているのは、殆どが金聖嘆自身によって書き加えられた部分。つまり、自分の文章について自画自賛しているのである。
で はなぜ金聖嘆はこのような改竄を加えたのであろうか。それは、金聖嘆自身が解説している。ただし、これは改竄の理由として説明されているのではなく、 100回本をよしとしない理由について述べているのであるが、金聖嘆の70回本が捏造によるものであることがハッキリしている以上、これは改竄の理由とし てとらえられるであろう。まず、大宋帝国ともあろうものが、たかが山賊集団を討伐することもできないのは国家の尊厳をそこなうだけでなく、これを赦すこと によって国家が自ら法を曲げていることになる。しかも、朝廷に帰順した梁山泊集団を用いて各地の反乱を討伐するのは、当時の朝廷に人材がないことを認める ことになる・・・といった具合で、ようするに金聖嘆は反乱軍梁山泊の指導者である宋江が、その大罪を赦され、官軍面して反乱討伐に向かうことなど許せな かったのである。ひとたび朝廷に背いた宋江に対しては、もはや刑死以外の道は残されているべきではない。それが金聖嘆の主張なのである。そのためには宋江 は単なる悪人でなければならない。もし宋江が忠義の心を抱く有能な人間であれば、それを一度は反乱に走らせた朝廷には、人を見る目がなかったことになって しまう。
このような諸々の事情により、金聖嘆は水滸伝を途中でぶった切った。しかし、ただぶった切っただけでは、盗賊集団梁山泊は順風 満 帆 のままで終わってしまう。そこで付け加えられたのが、前述の盧俊義の悪夢の段である。108人全員が処刑されて「天下泰平」が実現するというこのラスト シーンは、梁山泊のような盗賊集団は結局のところ全て滅びる運命にあるのであって、そうなってはじめて天下泰平が成るのである、という金聖嘆の主張がこめ られているのである。

中国における70回本と金聖嘆

こ のように、成立の過程を見ると恐ろしく体制側におもねった態度から生まれた70回本であるが、これは中国では広く受け入れられた。というのも、書店がこ ぞってこの70回本を売ったからである。もともと反乱の話を描いた水滸伝は清朝によって禁書とされており、これを売るには細心の注意を必要とした。しか し、それには120回本では長すぎたのである。短ければ短いほど、扱いが楽ということになる。このため、一説によれば金聖嘆は本屋に頼まれて、営利目的の ために70回本を捏造したのではないか、とされているほどである。更に清朝は女真族、つまり北方異民族が作った王朝であるから、水滸伝後半の北方異民族征 伐の部分は、同じ発禁本にしてもあまりに都合が悪い。このため中国では100回本や120回本は姿を消し、70回本がすなわち水滸伝であるとして認識され ていくようになる。これは清朝滅亡後も同様で、時代が共産党時代になっても水滸伝は依然として70回本であった。ただし、その内容は金聖嘆のものとはかな り違う。まず、中華民国時代にいくらか名誉を回復されたものの、共産党統治下の中国においては金聖嘆は極悪人であった。前述のように金聖嘆は非常に伝統主 義的であり権力側に立つ人物であった。その死に方が反乱に連坐して処刑されるというものであることから、金聖嘆を反権力的な人物である、とする人もいるよ うだが、じつはこれは冤罪であり、金聖嘆本人が反権力的な行動に出たことはない。また、金聖嘆自身の主張からも、彼が体制側に沿った思想の持ち主であった ことはほぼ確実である。これは当然、共産党政府から見れば反革命的・反動的、ということになる。
そこで、共産党政府は金聖嘆の70回本 に 対 して更に手を加えた。まず盧俊義の悪夢の段を削除した。そして宋江を悪党として書きかえた部分を元にもどした。つまり70回本から伝統主義的な部分を消し 去って、元に戻したのである。そして、「金聖嘆は反動的文人であり、糾弾されるべき人物であるが、彼の産み出した70回本は結果的に水滸伝の革命性を強調 することになった」という理屈をくっつけたのである。もっとも後にこの姿勢は変化する。すなわち、「宋江は、革命を起こしておきながら朝廷に帰順した、投 降主義的な人物である。しかし金聖嘆は、宋江が帰順する段を切り捨ててしまった。つまり、宋江の降伏主義的な部分を覆い隠したのであり、水滸伝を反面教材 とすることを不可能にしてしまった」というのである。こうなるともう、何がなにやらわからない、屁理屈の世界である。


い ずれにしても、金聖嘆は、それまで民衆のものであった水滸伝に政治思想的な概念を持ち込み、あまつさえ古典を腰斬するという暴挙を行った人物であって、現 在では彼を肯定的に評価する人は皆無に等しい。しかし、彼にも評価すべき点は見られる。それは、小説である水滸伝を、中国歴代の古典と同列に論じ、水滸伝 の地位を確立しようとしたことである。もともと「小説」とは「つまらない話」程度の意味であって、まともな文人が扱うものではなかった。当時の文人は、水 滸伝の面白さに魅せられ、こぞってこれに読みふけりながらも、けっしてそれを表向きに論じるようなことはなかったのである。ところが金聖嘆は、水滸伝の文 章を、中国の古典の中でも最高のものであるとして、水滸伝を偉大な古典として扱ったのである。決してこれは金聖嘆が始めたことではないが、当時においても まだ一般的なものではなかったのである。また、多くの文学者も、水滸伝は70回本までの内容とそれ以降で文体などに明らかな優劣があることに関しては、金 聖嘆に同意している。つまり、単純に読み物として70回本のほうが面白いまま終わるというのである。これを考えれば、金聖嘆は文学者・文芸評論家としては 決して無能な人物ではなく、むしろその能力は高く評価されて然るべきところなのかもしれない。そもそも彼が単なる伝統主義者であったならば、ヤクザ者の活 躍を描いた物語である水滸伝などほうっておけば良かったのである。それを敢えて問題化したこと自体が、彼が同時代の他の文人だちと一味違った存在であった ことを示しているだろう。彼の唯一にして致命的な失敗は、それまで大衆文学であった水滸伝に、政治色の強い思想を持ち込んだことであろう。それによって水 滸伝は大衆の手を離れ、権力側の勝手な解釈によってめまぐるしく見苦しい運命をたどることになってしまったのである。
(参考:高島俊男『水滸伝の世界』1987年 大修館書店  ほか)